少し前に
統合されている人って
こんな感じなんだな
という人を
動画で見かけた
その人本来の特徴を
充分に持ったまま
他の価値観や
タイプとも
親和性があって
開かれている
という感じ
去年の秋頃から
ある学びを進めていて
人は痛みによって
タイプにわかれる
という見方をするのだけれど
その主宰の人の
説明が
とてもシャープで
納得感があって
気持ちが良いのと同時に
その人とは違う
他のタイプの説明を聞く時に
ほんと面倒くさい
いつまでもスルメ噛んでる感じ
自分への執着がすごい
よくいつまでも
自分のことばかり
かまっていられますね
って感じ
などなど、
聞いていて
胸が痛くなることも
多くて
ありのままで
生きたらいい
と言われても
自分の特徴を
ますます
嫌いになるような
説明を聞いていては
自分の特徴を
そのまま
受け入れて
自分を表現していこう
なんて思えない
ということに
最近気づいた
AB型の女って
ほんと面倒くさいよね
みたいな話を
ずっと聞いているようで
心の中で
同意してみたり
反論したくなったり
忙しい
今は少し
距離をおく
ことにする
そう思っていた時に
冒頭の人を
見かけた
主宰の人と
同じタイプだけれど
他のタイプについての
説明に愛があって
(主宰の人も
愛は深いけれど)
タブーと思うようなことも
さらっと話して
理解と愛があって
全部あって良いんだな
と
シンプルに思えた
そのタブーに思えるような
発言とは
本心で感じること
からくる
主宰の人についての
指摘
私だったら
そう感じていても
本人がいないところで
こんなことを言ってはいけない
とか
これを言ったら
その人の
メンツに関わることだから
録画している
この場では言わないでおこう
とか
思考を働かしていたと思う。
でもその人は
おくすることなく
感じていることを話し
同時に
その主宰の人のことを
その場にいた
誰よりも深く理解し
愛を持って関わっていることが
よくわかった
その動画を観て
いろいろと
刺激されるものがあった
よくないこととして
封印しているものに
気づいた
私は発言する時に
これを言ったら
批判や攻撃に聞こえるかも
しれないから
やめておこう
と、発言を控えることが
多くて
頭の中で
つっこみを入れたくなっても
これって批判になるかな?
攻撃的かな?
と思ってやめてしまう。
セッションのときは
明確な指針が
自分の中であるので
迷わないけれど
私生活では
人との関係性に
方向性を決めていないので
ゆれ動く
(ということは、私生活でも
方向性を決めたら良いのかな?)
でも、その人の在り方を観て
自分の中にあることは
表現したらいい
批判や攻撃に聞こえたとしても
自分の意図が
そうでないならば
ただ、自分の中にあるものを
あることとして
その場に出してみよう
と思った
言葉が攻撃的に
なることを
こんなにも
恐れているのは
きっと
父が
皮肉と嫌味の天才で
痛い思いをしたから
そうはなるまい、
というストッパーが
大きかったのだと思う
いま
そこの封印が
解かれそうな気がしてるので
そして最近
文句を言いたくなったシーンを
思い出してみたら
人には、その言動をする
背景があるんだから
そこをおもんぱかることなく
ぶった斬らないでほしい
他の視点もある
ってことに
思いを馳せてほしい
自信があるのは良いけれど
その言動の攻撃力も
少しは考慮してほしい
だった。
そして、その奥をみると
いろんな背景をもった
いろんな価値観の人が
尊重されて
安心していられることへの
強い願いがある
いろいろと
女性であることについて
夏の大祓と
最近の強風が
いろんなものを
吹き飛ばして
うごかしてくれているなぁ
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