そびえ立つ自尊心

もう、

良いとか悪いとか

正しいとか間違ってるとか
価値があるとかないとかで

自分を裁くことはないけれど

美しくない

という理由で
自分を責めることが
やめられなかった

美しくない
というのは、行動のことで

野暮だとか
暑苦しいとか

無粋だとかいうような


言動が美しくない

という基準で


その最中や
終わった後、
頭の中で自分を
うっすらと何度も裁く

そこだけが残ってた。



今朝、目覚めたら


自分を責めることが
できるのは

誰かが認めてくれる
と思っているから
と降ってきた

そうだ、そうだな。


前の旦那さんは
自国にいる時

貧しい地域の中でも
特に貧しくて


ブラックで
差別も酷くて
保険もなくて


家の中も大変で

子どもの頃はずっと
食べるものもなく
空き缶を拾って
パンに変えてた

あの環境で
自分を責めていたら
生きていけなかったろう

だからか、彼の自尊心は
私から見ると
そびえ立つように高かった

結婚していた時

あなたは若いのに
心が安定していて
自尊心も高くて
羨ましいな

私はいい年して
こんなに心が不安定で
恥ずかしいよ

と言ったら

君は仕事とか学校とか
そっちを先に学んだんだ

僕は自分の感情を先に学んだ

人それぞれ
学ぶ順番が違うだけだよ


と言ってくれた



彼は、
小学生の時も
中学生の時も

学校でも空き缶を
集めていたけれど

きっと彼は
恥じることもなく
堂々としていたのだろう

その姿を見ていたからか

小学校でも中学校でも
卒業式の日に
知らない子から

君は僕のヒーローだ

と言われたといってた


もし私が今

街を歩いているだけで
差別され

社会から
蔑まれるような状況なら

自分で自分を責める

余裕なんかないはずだ。



いや、違うな。


昔の私なら
どんな状況だろうと

そんな状況なら
なおのこと

自分を激しく
責め続けていただろう。


でも今なら

この残り3割の
苦しさなら

自分で何とかできる気がする



誰かが認めてくれる
受け入れてくれる
という甘さが

自分を責めることを
許している
という自戒を持って

本気で、自分のすべてを
肯定していこうと思う。


世界中のすべての人に
批判されても

自分は自分を肯定する
くらいの意気込みで。


それにしても。。


自分を肯定する
ということにすら

自戒を使うところが


いかにも修行系だな汗