人生のなりたち

よく、

思考が現実化するとか


自分が出したものが
帰ってくる
なんて言われるけれど

私は個人的に、


この法則だけでは
すべてを説明できない
と思ってる。


生まれてすぐに
虐待で亡くなる赤ちゃんは


お腹の中で
暴力的なことを
考えていたのだろうか?


幼くして
性被害にあった子は?

こういう例を

思うとき


ぜったいに
その子たちの思考ではない、
と言い切りたい。


そしてまた、
それらの法則は

赤ちゃんの頃は
当てはまらなくて

大人になってから

とつぜん採用される、

というものでもないと思う。


そもそも

その親のお腹に宿る

という現実をつくったのは

いつなのか。



子どもたちが

生まれる前の記憶を語る

ドキュメンタリー映像

などを観ると


私たちは

生まれる前に

いろいろ決めてきている

ように思う。



今回の人生は

どんなテーマで

どんな経験をしたいのか


そのために最適な

環境だったり

できごとだったり。


そういった

だいたいの設計図を

自分で決めてきていて


そして、

途中経過というか


今、あなたは

自分や、世界を

こんな風に捉えていますよ、と

現在地を知らせるために


思考や想念が

現実をつくるという

法則のなかを生きる



で、それプラス


今回の人生で

やろうと決めてきたこと

に対して


方向性がずれてるよ、とか

やりたかったの

こっちでしょ、と


軌道修正のような

導きのような

できごとが起きる


まぁ、この

軌道修正や

導きも


最初から

設計図に入っていたり

するのだろうけれど



このような
人生の構成要素

設計図や
法則や
導きは

今回の人生でやりたいこと
経験するためのしくみで


すべての采配は

ゴッドがやっているのだろうし


最初の設計図も
ゴッドの分霊としての
わたしが

必要なことを経験するために
ワクワクさせられて

選んだのだろうと思う



 アインシュタインが


「人生には2つの生き方しかない。


 ひとつは

 奇跡などないかのように

 生きること。


 もうひとつは

 すべてが奇跡であるかのように

 生きることだ。」


と言ったのは


偶然と奇跡が

「混在」する

ことなんてなくて


たったひとつでも


奇跡という、

すべてがパーフェクトに

計算されているような


神の摂理を感じる

できごとが

起こり得るならば


それができる何かが

存在するならば


それは、すべてを

把握しているはずで


すべてを

コントロールできるはずで


そうなれば、その中に偶然はなく

ひとつが奇跡なら
すべては奇跡である


と言っているのだと思う。



人生のすべては


自分がやりたいと

決めてきたことを

するための


万全のサポート体制で

ゴッドの采配のもとに
あるのかと思うと


ぜんぶが愛で
ぜんぶが奇跡だな、


しんどさから抜けてる時のみ

思えるのであります笑