禅の知恵

ゴッドに祈ってから

新しく私のもとに

やってきた


生きづらさ残りの3割に

効いている、と

実感できているもの


それは、

人間関係について

具体的に

どう距離をとったらいいか

教えてくれた

対人関係療法と


日常生活の中で

思考を休ませる方法が

たくさん詰まった

禅だった。


今日は、禅について。


禅については

本を少し読んだだけで

ちゃんと学んだわけではないけれど


これは3割に効く、

と思えたのは、


日常の動作を

ていねいにする、

儀式化する、

というもの。


動作をていねいに

しようと思うと、

そこに意識が集中して

「今、ここ」

にいられる。


マインドフルネスとか、

ラベリングをしない

ヴィパッサナー瞑想と

似ているけれど、


私は、自分の感覚を

無視して生きてきた

期間が長いので


自分の体や

思考、感情など

自分の内側で起きていることに

気づき続ける

という方法だと、


よくわかんない泣

という苦手意識にやられる笑


でも、動作をていねいに

ゆっくり、

音を立てないようにする、

というのを目指すと


自分の感覚を

繊細に使うのだけど


意識の先が

自分自身ではなく、

外側のモノや

音に向かって


自分の感覚が

何をとらえているか、

ということには

注目しないので

気が楽。


でも、ちゃんと

今に集中できる。


それと、日常の動作を

儀式化する

というのも、


やるかどうか

という迷いを断てるので

思考が減る。


例えば、

ご飯を食べたあと、

すぐにお皿を洗おっかな

お茶飲んでゆっくりしよっかな

と、毎回まよっていたけれど汗


食べ終わってお皿を洗って、

片付けるまでが食事、

というのを読んで、

迷わなくなった笑


時間を費やすだけ

と思っていた日常の

ルーティンや家事も


儀式のようにすると

神聖な気持ちになれて

楽しいし、

今ここ、に集中できる。


むかーし読んだ

養老孟司さんの

脳についての本で


お箸を持つとか、

自転車に乗るとか、

車の運転とか、


意識をしないと

できないうちは

大脳(たしか)

を使っているけれど


慣れてきて

意識しなくても

できるようになると


その動作は

オートマトン化

と言って、

大脳を使わない、

他の場所に移るらしい。


だから、無意識にできること

だけをしていると、

脳をほとんど

使っていないことになる

というようなことが

書かれていた。


脳はひまだと

刺激を求めて

さまようので

思考が騒がしくなる。


日常のルーティンは

無意識にできることばかり


だから、

顔を洗うとか、

歯を磨くとか、

お皿を洗うとか、

をていねいに、または

儀式化するというのは、


無意識にできることを

あえて意識的に

集中してやることで


脳にひまを与えない

=思考を止める

なんだな。


日常生活をすべて儀式化、

修行とする

禅の知恵ってすごいなー

理にかなってる。


もっと学んで

実践してみたい。


あ、学びより

実践を優先しようね、私。