痛みがあるの。

生きづらさを手放したい

ジャッジを手放したい

というと、


持っていてもいいんだよ

という話の流れになることがあるのだけど。


生きづらさやジャッジを

良くないものだ

と思っているわけではなくて


苦しいから、痛みがあるから

手放したいの。


そこに痛みがなかったら

持っていていいと思う。


どちらかというと、

いろいろなものを持っていた方が

人間として

楽しんでいる感じさえする。


でも、痛いから

苦しいから手放したい。


ずっと頭が痛い時に

頭痛を持っていてもいいんだよ

と言われても

やっぱり痛みからは解放されたいもの。


もちろん、

人間として自然にもっている

苦しみ、痛みという感情を

根こそぎ手放したい

というわけではなく。


そして、苦しみの、

痛みの原因は

善悪のジャッジ

だとわかっているから

それを手放したい。


昔みたいに

めちゃくちゃ苦しい時は

とても自分で

なんとかできると思えなかったけれど。


今くらいの

残り3割なら

自分や人を

裁きそうになった時に、


私は、相手は、

何を得ようとしたのだろう

何を求めての言動だったのだろうと、


その奥にある

願いを見にいくという練習を

日常の中で

ちゃんとやろう。


NVC、ぜんぜん

実践してなかったもんね。


ゴッド、

この残りの3割も

ギフトだってわかっています。


これをモチベーションにして

自分の言動を、そして

世界を見る目を

磨いていくんでしょ?


この世界への探求を

続けさせるんでしょ?


どれだけの時間がかかるのか

そもそも終わりなんてあるのか

わからないけれど。


そして、変わりたい、

という時にも

変わろうとしなくていい、

という話の流れになることがあるけれど。


野球選手になりたい

というのと同じなの。


人間のすべての言動の

その奥には

美しい願いがあって


私は、いつも

そこを見て生きていきたい。


みんなが

遊びしかしないで


自分と、人の願いを

よろこびだけで

満たしていくゲーム


Make life wonderful

というゲームをして

生きていきたい。